20200416 よシまるシン|さくらももこ「ひとりずもう」考察1

 自宅のパソコン机すぐ横の本棚の一番手に取りやすい位置に、さくらももこの「ひとりずもう」という漫画の文庫を置いている。先日も読み返した。

(日記は早くもここまで。ここから先はネタバレOKな方へ向けて「ひとりずもう」の中身の話!)

 みなさんは「ひとりずもう」をご存知だろうか? これ、一言で言うと「ちびまる子ちゃん」のその後のお話。しかしただの後日譚ではない。躊躇なく結末を書いてしまうが、2年前まで「まるちゃん」だった主人公「ももちゃん」は、この物語の最後で、漫画家「さくらももこ」になるのだ。国民的キャラクター「ちびまる子ちゃん」が国民的漫画家「さくらももこ」になっていく過程を描いた作品。なぜそのタイトルが「ひとりずもう」なのか? そしてなぜさくらももこは「ちびまる子ちゃん」を描いたのか・・・? ここからその内容に触れていきたいと思う。
 「ちびまる子ちゃん」で描かれていたくだらなくも楽しい「家族生活」と「学校生活」。「ひとりずもう」ではその二つが少しずつ分離していく過程が描かれる。同級生達が生理になる。ヒゲを生やす。性に目覚める。ももちゃんはそれに一緒について行くことができない(実際に生理になるのも一番遅かった)。    
 一方、家にはあの頃と変わらない日常がある。隣にはいつものヒロシがいる。テレビにはいつもの「ビートたけし」がいる。自分の部屋には漫画や絵本がある。そこでは「ももちゃん」は「まる子」のままでいられる。。。
 表面上、ももちゃんには中学・高校でも友達はいて、たまに一緒に買い物に行ったりスケートに行ったりもする。しかしあの頃とは違い、ももちゃんの志向はより「うち(家/内)」的なものになっていく。ギャグを交えてほのぼの描かれているが、見方によっては異様でもある。女子校生の一大イベントである文化祭を早退し、ももちゃんは家でたけしのテレビを観て過ごす。

「私はねぇ、文化祭よりたけしの方が大事なんだよ。文化祭よりもたけしの笑いの方がずっと心に残るんだからね。」

 そう・・・私はそういう性分なんだ。小さい頃からたくさん人の集まる所が苦手だった。ガヤガヤした中にいるとすごく疲れて頭が痛くなる。だからこうして家にいるのが好き。絵を描いたり本を読んだりテレビを観たりして・・・

 ・・・そうやって家で遊んでいるうちに文化祭は終わった・・・

 この「家」には二重の意味がある。文字通り住居としての家であり家族としての家、そしてもうひとつは「内なる世界」「自分の世界」。さくらももこにとってこの二つの「うち(家/内)」は密接に関連し合っていたと思う。
 しかし一方、ももちゃんにとっての「外」と「うち(家/内)」の世界の乖離は次第に大きくなっていく。彼女は、常にぼんやりと(かつ極めて客観的に)思春期、青春期の只中にいながらそれを他人事のように眺めて日々を過ごしてゆく。しかし、そんなももちゃん自身にも状況の変化は否応なくやってくる。いつかは社会に出て行かなくてはならない。。。

 あまり長くなりすぎない方がいいかなと思うので、つづきは次回にしたいと思う。
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◼️書いた人

よシまるシン Shin YOSHIMARU
デザイナー・イラストレーターほか
http://yamadagawa.com
https://twitter.com/YOSHIMARUSHIN