20200422 よシまるシン|内的世界から国民的作品が生まれること

信じられないことが 起こってしまうのは
世界中誰も 信じられなかったから
「キスまでいける」ザ・クロマニヨンズ 作詞:甲本ヒロト

 さくらももこの「ひとりずもう」という漫画について(前回のはこちら)。
 中学、女子校と進むにつれ、周りの同級生との歩調が、方向が、どんどんずれていく主人公ももちゃん。半ば無自覚に、彼女はどんどん「ひとり」の世界、内的な世界へ向かっていく。一瞬、なんでこんなにも周りと歩調を合わせられない人間が国民的作家になれたんだろうって思うけどもちろんそうじゃない。そういう人間だから、こそ、国民的作家に、なれた!んじゃないか。元々、ずっとこのことについて自分は興味を持ってきた。そういう人たちが、好きだ。
 例えば、「ひとりずもう」のももちゃんに近いキャラクターとして思い浮かぶのは「この世界の片隅に」の主人公、すずさんだ。彼女も、ももちゃん同様、常におっとりぼんやりしながら心はどこか違う場所にいて、違うものを、「ひとり」の世界、内的な世界を、見ていた。このすずさんを描いたこうの史代さん自身にも、そういうとこがあるんじゃないか。「ひとり」の世界から国民的作品が生まれるということ。自分はずっとそのことに興味を持っている。

 周りが青春を謳歌する中、ぼんやりと毎日を過ごすももちゃんに、さすがにもう進路を決めなくてはいけないという時期が迫ってくる。ももちゃんには、担任から見透かされたように言われた「漫画家になるのは大変だぞ」という一言が頭に残っており、そこから彼女は、なれるはずがないと思いつつどこかで憧れていた漫画家への夢を少しずつ自覚するようになっていく。しかしいざ実際に描いてみると、これがうまくいかない。雑誌『りぼん』への投稿漫画がBクラスだったことで、一度ももこは漫画家の夢を諦める。ただ、漫画を描き始めてから、はっきりと彼女に変化が見えてくる。ぼんやりしていた世界の輪郭がはっきりしてくる。そう、この時、「ももちゃん」は「ももこ」になったと思う。
 一度夢を諦めたももこだったが、模擬試験の作文テストで高得点をもらったことで自分にはエッセイが向いているのではないかと気づき、今度はエッセイ漫画で『りぼん』へ漫画を投稿。そこで「もうひと息賞」を受賞する。
 それまで少女漫画のマネでしかなかったももこの漫画が「さくらももこの漫画」になった瞬間だ。さくらももこの誕生である。「うち(家/内)」の世界、「
ひとり」の世界を表現する上でエッセイという手法が翻訳機としてうまく機能したんだと思う。そしてさくらももこが真っ先に描きたかったのは、そして描き続けたかったのは、やはり「家」であり、全てが「家」でありえた子供時代の世界だったんだと思う。ここに至るまでの無意識の葛藤こそ「ひとりずもう」なのだ。手塚治虫のように描けなくても、矢沢あいのように描けなくても、漫画家になれる。信じられないことは、起こってしまうのだ。そうしてさくらももこは漫画家デビューを果たし、「外」の世界への扉を開け、この物語は終わる。

 さて、ここでまた自分の日記に戻る。自分は今どういう状況だろうか。客観視できてる自信はないが、自分もまた、いまだにぼんやりとしているところがある。だからこそこの漫画を読み返したのかもしれない。なんとなくわかっているのは、おそらく今は、ぼんやりしている場合ではない。でも、クラスにひとりくらい、そんなやついたんじゃないかと思う。なんかうわの空なやつ。すみませんとしか言いようがない。

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(よシまるシン)
つぎの日記はつめをぬるひとさんです



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◼️書いた人

よシまるシン Shin YOSHIMARU
デザイナー・イラストレーターほか
http://yamadagawa.com
https://twitter.com/YOSHIMARUSHIN